頭痛、肩こり、腰痛でお困りなら、痛み止めやシップ、マッサージなど一時しのぎではなく根本的に改善しませんか?

施術者紹介

施術者紹介

どんな人が施術するのかな?と不安に思われる方はいらっしゃると思うので、都城オステオパシー治療院の施術者がどんな人間であるのかわかっていただくために略歴を掲載しています。

 

はじめまして!

都城オステオパシー治療院の院長をしています、理学療法士の蛯原孝洋と申します。
施術者紹介をご覧いただき、ありがとうございます。

都城オステオパシー治療院は、

酷い症状や不調などで大変な思いをされて、

本気でカラダを良くして健康になりたいとお考えの方のために、

症状を引き起こしている根本の原因から改善し、

症状が無くなるだけでなく、再発しない健康なカラダ

を獲得するために、根治をゴールとして施術する整体院です。

当院は、

 

「人生を歪ませる症状をできるだけ無くしたい」

 

「あなたに、より豊かな人生を送ってほしい」

 

という2つの強い思いから開院しました。

現在もたくさんの患者様にご来院いただき、たくさんの笑顔や嬉しいご報告をいただき、私自身も毎日を楽しく嬉しい気持ちで施術をさせていただいています。

私の施術で、毎日を辛くしている症状が治る方が1人でも増えていただければ、とても有難いことだと思っています。

どこへ行っても良くならない症状で長くお悩みの方はぜひお越しください!

 

施術者の概要

施術者:蛯原 孝洋( えびはら たかひろ )

宮崎県都城市の根本改善専門の整体院「都城オステオパシー治療院」の院長。

2.問診

理学療法士資格を取得して以来、12年間病院や外来など臨床の場で痛みや症状の知識をつけ技術研鑽を行い、「痛みや症状でお困りの方が改善するお手伝いをしたい」という想いから整体院を開院。

一時しのぎの施術ではなく根本の原因から改善することで、症状が再発しない手技「オステオパシー」と、再発を防ぎ健康を作るために必要な食事や生活習慣の指導、そして究極の健康法といわれるファスティングをサポートする「ファスティングマイスター」の資格を取得。

医学的な理論に基づいた施術と技術力から、医師の推薦も受けており、現在も病院などの医療機関や、どこへ行っても改善しない痛みや症状の方を改善することに注力している。

 

あだ名

えびちゃん

いままでずっと、えびちゃん以外のあだ名で呼ばれたことはほとんどありません。

私の家系は父も母も、姉も、祖父も祖母も、全てあだ名は「えびちゃん」です。

芸能人の女優・蛯原友里さんも「えびちゃん」と呼ばれてますね。
おそらく、苗字が蛯原の人のあだ名はえびちゃん以外に無いのだと思っています。

もし都城オステオパシー治療院にお越しいただいた際には、ぜひお気軽に「えびちゃん」とお呼びください!

生年月日や他のデータ

1983年(昭和58年) 7月20日生まれ
いのしし年
かに座
A型(マイペースなのでたぶんAO型?)

出生成長

生まれも育ちも、ずっと宮崎県都城市です。

趣味

バレーボール

バレーボールは大好きです!

多いときは週に3回したりします!大好き!でもとても下手です。

バレーでは、サーブとレシーブ、トス、アタック、ブロックが苦手です(全部?)。

とても下手なので、試合ではもちろんベンチで控え選手です。

それでも大好き!

パソコン

あと、パソコンも好きというか、得意です。

実はこのホームページもワードプレスというソフトを使って自作しています。

そのため、他の整体や整骨院さんのように綺麗ではありませんが、苦労して作り上げたので気に入ってます。

特技

人間こいのぼり

このように記載するしかないのですが、正式名称は不明です。高校の時から偶然できて以来ハマってしまい、やりすぎた結果、肩の筋肉だけ異様に発達してしまいました。

看護学校に講義に行くのですが、生徒から「白衣が肩だけパツパツの人」と覚えられていました(笑)

 

性格

お話をするのが大好きです!(ただし聞く方の専門

どちらかと言えば明るいほうですが、めっちゃ明るい!というわけではありません。

第一印象はなぜか必ず「優しそう」としか言われません。

学歴・資格

学校は、沖水小学校、沖水中学校を卒業。

高校では1度、県立高校の受験で失敗し、挫折の辛さと大事さを学びました。

その後、滑り止めで受験・入学した私立高校を「普通科に入り、進学を目指したい」という希望のため中退し、翌年、宮崎県立高城高等学校の普通科へ入学、卒業。

専門学校は鹿児島第一医療リハビリ専門学校へ入学し、1度挫折を味わっているからこそ持てた覚悟のお陰で無事に卒業し、理学療法士免許を取得しました。

卒業後、介護支援専門員(ケアマネージャー)と、相談支援専門員の資格を取得しました。

 

施術者の経歴

子ども時代

子どもの頃はとてもおっちょこちょいで落ち着きがなく、頻繁に怪我をしたり迷子になるようなやんちゃな子でした。

中学

中学に入り、徐々に登校拒否になり始めます。

この頃は、朝になると頭痛や熱発などの症状が頻発し、病院では自律神経失調症と診断され、学校を休むことが多くなり出しました。

いま考えると当時は猫背が酷かった印象がありますので、背骨の歪みとストレスのダメージ、悪い食生活や、夜更かしなどの悪い生活習慣から自律神経失調を乱してしまっていたのではないかなと思います。

朝は体調が悪くて起きれず、給食が終わったころに学校へ行くなどの遅刻や不登校が増え、夜になると体調が良くなるため夜中は目的なく外出するという悪い習慣が続いていました。

解決したいけど体がよくならず、そのうちにやけになってしまい、自分もとても苦しかったですが、親に大変迷惑をかけた時期です。

さらに、ろくに学校に行かず、勉強もそれほどしていなかったのに、無駄なプライドだけはありました。

そのため県立高校の中で一番難しい高校を受験し、当然ながら落ちてしまい、私立高校へ入学します。

高校

私立高校へ入学したあと、自分の理想と現実のギャップを認めることができず、私立高校でも不登校が続きました。

そのうち、自分のなりたい仕事になるために行わなければならないことを毎日考えるようになりました。

そうして出した答えが、私立高校を辞め、県立高校の普通科へ入りなおし、進学する道を拓くということでした。

私立高校は入学から4ヶ月で辞め、目標のために必死に勉強して翌年無事に県立高校へ入学。

高校に入ってからも努力を続け、高校2年の頃には生徒会長になりました。

 

ちょうどその頃、将来について考えるようになります。

中学の頃から

「将来は大学に行って銀行員になるか、公務員になりたいな〜」

と考えてましたが、祖父が入院したことで転機が訪れました。

お見舞いに行った時に理学療法士の仕事を見る機会があり、その時に「人と社会のためになるとても素晴らしい仕事」だと感銘をうけました。

私も、「人に喜ばれる、人の為になる仕事がしたい」と思うようになり、そのうち、理学療法士になることが目標となっていました。

そして理学療法士となるため、進学の道を選び、霧島市国分にあります、鹿児島第一医療リハビリ専門学校へ入学しました。

 

専門学校

専門学校に入ってからは、徒手での施術にとても魅力を感じていました。

骨、筋肉、関節の知識がつくと、例えば肩もみ1つにしても効果が全く違うことに感動し、学校の勉強以外の時間には友達に痛いところがないか聞いて回り、施術させて貰ったり、親に親孝行代わりに施術して感覚を鍛えていました。

元々、何かしてあげるのが好きなおせっかいな性格なので、とにかく頻繁に練習していました。

この頃はストレッチや、直接筋肉にアプローチする「ダイレクトストレッチ」という筋肉へのアプローチを主にする手技にのめり込んでいました。

就職

専門学校で徒手療法にとても興味を抱き、「もっと痛みで苦しんでいる方々の役に立てるよう、技術を磨きたい!」と思い、ストレッチなどの筋肉面のアプローチだけでなく他の徒手療法を学ぶべく、関節系のアプローチを熱心に勉強されている病院へ就職することにしました。

関節系のアプローチを学ばせていただき、筋肉系の徒手療法だけでは取りきれなかった痛みが取れる事が嬉しくて、必死に勉強と練習を繰り返しました。

疑問

しかし、どのような手技を用いても取り切れない痛みや症状、可動域制限があり、
全ての痛苦を取り除くためにはどうしたら良いのだろう
と悩む日々が続きます。

理学療法士になってからずっと、その悩みを持ちながら様々な研修会に参加したり、独学にて模索していました。

しかし、いろいろな手技、運動連鎖からの改善方法、ツボを用いた方法など試すものの、その答えはなかなか見つかりませんでした。

毎日悩みながら、それでも理学療法士の業務を行い、治せないときには申し訳ないという思いに一杯になる。

そんな理学療法士として悩みだらけの辛い日々が8年もの間、続くことになります。

さらに苦悩の日々

ある時、私は何のきっかけもなく腰椎椎間板ヘルニアを発症し、常に酷い腰痛が続くようになり、仕事が満足に行えず、趣味であるバレーも行えない日々を送りました。

立っていても座っていても痛く楽な姿勢は寝るしかない、日常生活においてもくしゃみをする時には座り込んでしまう、また足の筋肉に麻痺がでて、足指が動かせないなど、生活上とても苦労するほど酷い状態になっていました。

自分の持っている知識の方法でなんとか治そうと努力しましたが、一時的な少しの軽減だけで完全には治らない、そんな日々が半年もの期間続きました。

オステオパシーとの出会い

ちょうどその頃、同業者から「オステオパシーという凄い方法がある」と言うことを教えて貰っていたのですが、オステオパシーの効果を試してみたいということもあり、お願いをして施術をして貰うことになりました。

そうすると、今まで散々いろんなことをやって取れなかった痛みが、その1回の施術で半分ほどになり、次の施術にはさらに半分に。

日常生活ではほとんど問題ないレベルまで改善し、ずっとしたかったバレーボールも行えるようになりました。

その時の感動は今でも鮮明に覚えています。

当然、自分の症状が良くなった事も嬉しかったのですが、それよりも、今まで理学療法士として立ち向かってきたが、ずっと解決できなかった悩みである、取れない「痛み」。

その「痛み」に打ち勝つ可能性がある「オステオパシー」に出会えた感動、感激は相当なものでした。

その後、同業者からオステオパシーを一緒に勉強していかないか、というお誘いを頂いたのですが、膨大な費用と時間がかかることを聞いていましたので、まだ乗り気になれませんでした。

オステオパシーを学んでいくかしばらく悩んでいましたが、自分のカラダでそのあらゆる症状を改善できる可能性を肌に触れ、

治せない理学療法士として働いていくのは、自分の担当になった患者さんに対して申し訳ない

という思いがあり、可能性を信じてとりあえず一度、オステオパシーの研修に参加してみることにしました。

指導者との出会い

実際に、オステオパシーの研修に参加してみると驚きの連続でした。

緻密に研究された医学的な根拠に基づく理論と、その第一人者と呼べる指導者の技術、そのすばらしい効果を目にして、とても感動したのを今でも覚えています。

そして研修のあとの交流会にて指導者から、

「いま君がやっていることは本当にしたいことなのか?君がやりたいことをやりなさい。」

という言葉を頂き、初めて自分の本当にやりたいことを問う機会を作りました。

かなりの時間をかけて自問自答を繰り返した後、

「痛みや症状で苦しんでいる方の助けになる治療家」

という「自分にとっての理想の理学療法士像」にたどり着き、オステオパシーを本気で学ぶことを決意しました。

オステオパシーの研鑽

それからは、毎日かじりつくように「オステオパシー」の練習に取り組み、知識をかき集める日々でした。

大阪で開催されるオステオパシーのセミナーにも全て参加し、少しでも早く成長できるように必死に取り組みました

当時はオステオパシーを学ぶことを最優先しており、週末はほとんどオステオパシーの勉強会に参加している状態でした。

一緒にオステオパシーを学ぶ仲間(あるいはライバル)も見つかり、深夜の3時まで研鑽しあったことも多かったです。

そのような時期があったお陰もあり、オステオパシーの施術者として現在まで成長することができました。

保険診療の限界と、整体院の開院

それからも病院で勤務しながらオステオパシーの研鑽を全力で続けていましたが、ある時、壁が訪れました。

病院での勤務ですので医療保険の下で施術をすることになるのですが、保険診療での施術を行う場合には時間や内容の制約が厳しく、私の希望である、

「長らく疼痛や酷い症状で苦しんでいる方々の力になりたい」

ということを叶えることが難しい状況だったのです。

辛い症状で悩まれている方がいるのに、時間をかけることができず症状を改善できないまま帰らせてしまう。

これは、私にとってとても心苦しいことでした。

そのため、整体院として、自費診療、完全予約制の形で一人一人に全力で向き合い、より質の高い施術を行えるよう、「都城オステオパシー治療院」を開設するに至りました。

 

経営するということの苦労

開院当初は、もちろん来てくださる方はいない状態からのスタートでしたので、収入はほとんど出ない状態でした。

しかし、オステオパシーを学ぶためには費用と時間がかかります。

貯金は底が見え始め、いつまでに収入が安定するという見込みもない

家族にも相当な不安を与えてしまいました。

ただ、少ないながらも来て下さっていた患者さんからは症状が改善したことを喜ばれる声を頂いていたので、その点で言えば充実していました。

それから時間が経つにつれ、症状が改善した方から、他に症状で悩まれている方などをご紹介いただく機会が増えていきました。

毎日予約が埋まり、予約が取りづらい状況にまで至りました。

現在では、日頃から辛い症状でお悩みだった方に多数ご来院いただいています。

多くの方に施術の効果をとても喜んで貰え、私も理学療法士として施術者として、やりがいに溢れた充実した毎日です。

今まで来られた方の中からは、

  • 10年以上どこでも改善しなかった症状が改善した
  • 他の方から「姿勢がすごく良くなったね」と言われる
  • 薬も効かないくらいひどい頭痛だったが、全く無くなった
  • 子どもの抱っこや仕事で前かがみになるたびにあった腰痛が無くなった
  • 骨盤が自由に動くようになり、スポーツのパフォーマンスが上がった
  • カラダが良くなり、気持ちが前向きになった

など、非常に嬉しいお喜びの声もいただき、とてもありがたい思いです。

 

オステオパシーで本当の自分に

オステオパシーは筋肉だけでなく靭帯や血管や神経など多数の器官の異常な緊張を緩和し、関節のズレは全て矯正し、内臓の働きを正常に戻し、カラダ全体が本来の働きを取り戻せるようにする、包括的な医療の概念です。

人の持つ自然治癒力を最大限に引き出し、あなたが現在悩んでいる疼痛や辛い症状から解放し、毎日を楽しく前向きに生きていけるようになる可能性が十分にあります。

特に、長くつらい症状でお悩みの方、もう治らないと諦めた、または諦めかけている方など、ぜひ私にご相談ください。

私は誰よりもあなたに向き合い、全力でサポートさせて頂きます!

 

経営理念
全ての関わってくださったみなさまの、人生を阻害している症状を無くして、あなたが本来歩むべき悩みのない人生を取り戻して欲しい。
都城オステオパシー治療院は愛の手で、あなたの素晴らしい願いが叶うまでお手伝いさせて頂きます。

 

悩みのない本当の人生を、自分を取り戻しましょう!

 

 

ご予約はこちらから

ご予約は以下のLINE@(おすすめ)、予約カレンダー、メールフォーム、お電話から行えます。

電話は施術中で出ることができないことが多いので、24時間受付できるLINE@、予約カレンダー、メールフォームの方がスムーズにご予約頂けます。

よく、「いつ施術してもらおう」と悩んでなかなかご来院に繋がらない方がいらっしゃいますが、根本の原因や現れている症状は日時が過ぎるとともに悪化していき、後になるほど改善のために多くの施術回数が必要になってきます。

そのため、お迷いの方はいますぐご予約ください
(LINE@、予約カレンダー、メールフォームは24時間受付中です)

もし「自分の症状が治るかわからない」と不安のある方は、あなたの症状を私に相談してください。

あなたの症状を改善するためにどうすれば良いのか、当整体院の整体が対応するかなど、どのような疑問にも納得頂けるまでお答えいたします。

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